ぱっしょん

2004年5月15日
ドーンオブザデッドかパションで、どっちもグロい感じだったのだが、軽さでドーン〜なら見られるかな?とか思って昨日はドーンだったが、幼馴染はやっぱりパッションが良いということで、パッションになる。

グロいプラス重い。
と思って見たら、ほんとそうだった。
泣けます。感動します。心が動きます。クリスチャンじゃなくても。
という書込みなんかを見ていたが、クリスチャンでないわしにはぴんと来ないとこが多かった。聖書に基づくシーンなどほぼ知らないからなぁ。泣いたところは、CMでやっていた韓国映画の方だった。
とりあえず、あまりにも虐待とかひどすぎたためと、午前中から行っていたマッサージの余韻ために途中非常に眠くて何回か頭がガクッとなった。
リンチ長すぎ。ショック死した人が出たのもわかるほどだわぁ。
でも、わしには悪い映画とか良い映画とかじゃなくて、分からない映画だった。つまらない映画でもなく、単純にわからなかった。
どうしても根本に宗教があるから仕方ないだろう。

アメリカで、近所のクリスチャンの警官と日本語英語交換会話みたいなのを数ヶ月していて、キリスト教の話題になったときに相容れなかったことを思い出した。

キリスト教に偏見があった時だったのもあるが、日本にいたときもどうも毛嫌いすればするほど、クリスチャンが教えに来るという感じだった。
「クリスチャンは戦争ばっかりしてるし結局許さないじゃん!」
という感じのわしに対し、
「教えはひどくない。教えはとてもすばらしい。その教えを守れない人はいる。」
という感じ。
うー、教義と実行は、違うもんだけどさー。
なんか、やっぱり騙されてる感がぬぐえなかったし、詭弁だと思ったが、英語で言うにはわしには難しいし、日本語だと相手に難しいので、結局伝えられないままもやっとしている。
「私は罪を犯しました。懺悔します。」ていって、罪犯しながら日々反省すればオッケーて言う感じがなんか違うっていうかー。これを信じられられない人は哀れだとかすげー傲慢な感じとか。てか、それこそ教えじゃなくて実行者自体のこころがゆがんでるような。。。
騙されてる感じゃないな。裏切られてる感かな。
良いことは、どんな宗教開祖みたいな人たちでも言ってるっていうか。
みんな広まってから変になってるっていうか。
ちがうなぁ。
ま、本気で心から信心のある人は、一度参加してみて。とか、このすばらしさを伝えたい!みたいに、人に無理に勧めないだろうとか言う感じかなぁ。なんだろなぁ。結局イエスと同じだったら超越してるというか、普通の会話で納得してしまって自然に信じられるような感じかなぁ?

ま、いーや。
結局宗教はわからん。
考えさせられるものがあったてことだな。

相方は、キリスト役のかっこ良さにほれぼれしていた。
わしも、キリスト役の人はハンサムだと思う。
今日はそれを調べよう〜。

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